市民クラブとしてJ1を目指すファジアーノ岡山
ファジアーノ岡山の北川社長のキックオフミーティングでの発言「ファジアーノ岡山は市民クラブ、県民クラブとしてJ1昇格を達成する」という言葉が「市民クラブでJ1を目指すことができる期間は2025年まで」と併せて話題となっています。
それに関する一般的な解説はゼロファジさんとかがすでにやっている(『ファジアーノ岡山北川社長の会見を解説してみた|Zerofagi』等)ので基本的なことが知りたい方はそちらを参照してください。
私がこれから述べるのは、この発言から喚起された、30年前の経緯とそれに基づく妄想です。ファジアーノができてから応援を始めた人にとっては、特に見なくてもかまわない物語かもしれません。ただ「市民クラブとして」の言葉の意味に、もしかするとこういう意味もあるのではという妄想の入った深読みです。
以前も、触れたことがあるのですが(→『ファジアーノ岡山とヴィッセル神戸について』)約30年前、Jリーグ黎明期に、水島の川﨑製鉄のチームを母体にしてJリーグを目指す運動が岡山と神戸にありました。
結果、大雑把にいうと主に《岡山では大きなスポンサーがつかない》という理由で神戸への移転が決まり、ダイエーを親会社として誕生したのがヴィッセル神戸でした。(ただ、初年度からダイエーが撤退し紆余曲折あってヴィッセルは楽天傘下となるのですが。)
岡山のサッカー界のダメージは大きくしばらく立ち上がれなかったのですが、J2が設置されたころから市民クラブでもJに参入できるノウハウが蓄積され、外部から木村正明氏を招聘することで、なんとか2004年にクラブを立ち上げ2009年にJ2参入となりました。
つまりは《大きなスポンサーがつかない街だからJクラブは無理だ。俺たちは間違っていたんだ。》と夢破れた大人たちに、《大きなスポンサーがつかない街だけど市民クラブで立ち上がりJリーグに参入できた》と1つ夢が叶うのを見せてくれたのがファジアーノ岡山だったのです。
そしてそこで今回の北川社長の宣言です。ファジアーノのような堅実なクラブには買収の誘いもきっとあるでしょう。そこであえてまだ「市民クラブでJ1」を目指す意味。ロマンや物語作りもあるかもしれません。が30年前の経緯を考えると、いけるところまでいって《俺たちは間違ってなかった》と証明する最後のチャンスに賭ける宣言ではという深読みもできないでしょうか。この考えに到達したとき実はちょっと燃えました。
ファジアーノ岡山は「子どもたちに夢を」をスローガンに掲げてますが、その裏側に、現社長が明確に意識しているかどうかはわかりませんが、あのときくじけた大人たちにも「夢を」与える使命をきっと負い続けてるんじゃないか、というのが今回の妄想です。
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