「下駄をはくまでわからない」の由来をしらべてみた(※結論は出ていない)
2020年のサイクルロードレース『リエージュ~バストーニュ~リエージュ』は、最後十数キロのエース級4人の一騎打ちからアラフィリップが一気にアタックしてフィニッシュと思いきや、 トゥーアーリーセレブレートでログリッチに差されて2番手ゴールの上に、アタック時の斜行で降着という劇的な終わり方でした。
で、あちこちで「勝負は下駄をはくまでわからない」という感想が見られたのですが、アラフィリップが下駄をはいてるわけでもなく、 実際、この格言は、元々はどういう場面を指してできあがったのか、ちょいと調べてみました。
発端のツイートはこれ
柔術の野試合というのは、紅三四郎か柔道一直線あたりで勝負の前に下駄を脱ぎ捨てるイメージがあったからなんですが古かったかな。そういえば《勝負は下駄をはくまでわからない》という格言、もともとはどういう状況を表したものだったのだろうか。柔術の野試合かな?ちょっと調べてみよう。
— 傍見 頼路 (@yorimichi) October 5, 2020
ざくっと検索で出てきた結果は以下の通り。
国立国会図書館レファレンス共同データーベースの2010年の調査結果はこのリンク先。
https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000072796
ポイントは2点
- 由来は不明
- 「下駄を履く」という表現は江戸時代に実例があるが、それは「買い物の上前をはねる」という別の意味。
ヤフー知恵袋等では囲碁や将棋の勝負が由来という説が多数だが、根拠、実例は示されておらず、また後に述べる理由で状況が不自然と思われる。
国語辞典編集者の飯間浩明さんが2016年に同じ疑問をもって調べた結果はこのリンク先。
https://kangaeruhito.jp/article/3576
事実関係のポイントは4つ
- 新聞での実例は、80年代末以降に見られはじめて、過半数が野球の記事。残りは囲碁、将棋、相撲。
- 辞書に「下駄をはくまでわからない」が載るのは80年代後半から90年代初めで、比較的あたらしい。
- 「下駄をはく~」の由来は不明
- 文献で「下駄をはくまでわからない」の意味の、飯間さんが遡れた最古の実例は70年代の小説のダイスゲーム(サイコロばくち)の場面
- 囲碁・将棋、相撲の勝負は投了や土がついた時点で勝負がつくので、下駄をはいて帰り支度をするころに勝負がひっくりかえるのは不自然
- 「下駄を履くまで分からない」は、比較的新しい時代に、賭け事あたりから生まれたという解釈が、最も自然と考える。
文献の事実関係では国会図書館と飯間さんの調査でおおむねファイナルアンサーでしょう。
これらを踏まえて、由来について考える。70年代に実際に《下駄をはいて博打をうちにいく》ことが流行ってたわけではない一方で、 60年代から70年代は任侠映画(やくざ映画)の最盛期だったことから、これは映画のサイコロばくちのシーンが発信源で、 スポーツ新聞が借用して使ったのが大手紙のスポーツ欄に伝播してメジャーになったんじゃないかなあ、 てな想像をしているところです。
誰か任侠映画が好きな人で「勝負は下駄をはくまでわからない」というセリフが、新聞が借用するくらい印象的な70年から80年代あたりの映画って覚えてる人いないですかねえ。
| 固定リンク | 0
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 宅配便再配達受取ロッカー(2024.09.24)
- 体重の推移 ―2024年4月から6月―(2024.07.01)
- さくさくぱんだ 塩キャラメルソフト 《カバヤ食品》(2024.06.14)
- ポテトチップス 肉×肉 バーガー味 (山芳製菓)(2024.05.20)
- 大縣神社(2024.05.19)
コメント