映画:仮面ライダー令和 ザ・ファースト・ジェネレーション
この映画、冬休みに向けた仮面ライダーゼロワンと仮面ライダージオウの小さなお友達向けの映画なので、勢い重視の緩めの設定の映画で、そこもいつもどおり面白かったんだけど、ゼロワンのテレビ本編と同種の興味深い設定や演出があって、そっちの面でも面白く見ることができた。
ゼロワンのテレビ本編は、基本設定にヒューマギアというシンギュラリティを超えたロボットを材料に、ロボットに心や自我は生じうるかという、ロボット刑事K以来の石ノ森章太郎のテーマが組み込まれていて、それだけでワクワクしてしまう。そこにヒューマギアと人間がともに笑える社会を目指すゼロワン陣と、ヒューマギアを恐れ規制しようとする人間側の組織エイムズ、人類の絶滅を使命とするヒューマギアの絶滅迅雷.netの三者が三すくみで対立するところ、人類とヒューマギアの分断と対立を煽る絶滅迅雷.netに対して主人公の飛電有人に「悪意のある偏ったラーニングがそうさせたのだ」と言わせる演出。これは現実の戦争のタネとなっている民族主義や偏狭なナショナリズムに対してかなり意識した演出をしていると感じている。
で、今回の映画、ジオウの設定を上手く使って、テレビのゼロワンの世界とはまた違う世界を舞台にしていて、そこではヒューマギアと人類が全面対立する戦争状態となっており、人類はかなり劣勢なレジスタンス活動を行っている。人間が少数派で抹殺されるべきテロリストとして扱われている。この戦争の悲惨で泥まみれな面を描いているところがまず興味深い。
そしてヒューマギアの反乱のきっかけが、《奴隷的な無報酬の労働に対する反乱》というのも、なかなか現実に対する皮肉が効いている。
歴史観について示される《どんなに不都合でも過去は変えられないが、ここから始まる未来は変えられる》というジオウのメッセージ、タイムジャッカーの《仮面ライダーは悪の兵器として作られた》という問いかけに対するゼロワンの《それをどう使うかは俺たちが決める問題だ》など、現実の歴史に対する諸運動への問いかけと捉えて面白い議論ができる演出である。
ま、後半の、ヒューマギアと人間の融和派であるゼロワンの勝利へ終息する風呂敷のたたみ方は、大雑把で強引で力技な解決なので、映画ではそれ以上は深くは突っ込まれてないんだけどね。子供向けだからそこはそんなもんでも良いかなと思う。
現実の状況を物語に反映させただけかもしれないが、いろいろ深く考える切っ掛けになりうる良い映画だと思った。
すこし話がそれるが、昨年のラグビーワールドカップの時期によく語られた《ラガーマンは紳士である》という言葉があるが、これは半分だけ真実で半分は不正確である。正確に言うなら《ラガーマン(のように鍛え上げられた人間)は、常に紳士であろうとし続けなければいけない。さもなくば容易に暗黒面に落ちるから。》という趣旨なのである。
同じように、我々は常に仮面ライダーのようにあろうとし続けなければならないのではなかろうかと思うのである。
(2020-01-13記)
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