漫才とコントの違いについて
ずいぶん前に漫才とコントの違いについて考察をまとめたことがある。
(漫才とコント@路傍亭)
その後の笑芸の分析の中で、もうちょうっと整理した方が応用しやすいかなと
思うところがあったので、少し構成を変えて書き直してみる。
漫才とコントの違い
漫才とコントの違いは何かということは時々話題になるものである。
特に漫才の中にも芝居型式の表現がある。それとコントとの違いは何か考えてみよう。
まずは型式を比較する。
コント、特に純粋なコントは演劇の文法で表現されている。なので舞台に立った時から降りる時までずっと役を演じている。コント師の誰それではなく劇中の人物として登場しコントの終了まで劇中の人物としてありつづける。会話は原則として劇の中で閉じており、観客に向かって話しかけることは基本的にはない。
漫才は、演芸の文法で表現されている。舞台に立つときは漫才師の誰それとして登場し、観客に向かって話しかけて始まり、相棒と会話や寸劇などをし、漫才師として漫才を終わらせて退場する。
間に挟まれたネタ(アンコ)が芝居形式の漫才も、最初は漫才師として話し、芝居を演じ、最後は漫才師に戻って芝居を壊し終わる。
コントと漫才の違いは形式からして違うので、これは間違えることはないだろう。
芝居形式の漫才の分類
芝居形式の漫才の中に、よく見ると2種類あることが分かる。
1つは、間のアンコの芝居を切り出すとそのままコントとして成立する漫才である。例えばサンドウィッチマンやダウンタウンの漫才がそれにあたる。中の芝居が演劇の文法で表現されており、芝居が終わるまで劇中の人物でありつづけている。
これをとりあえず私は「コント漫才」と呼んでいる。音曲漫才と同レベルの分類として、音曲の替わりにコントが入っている漫才という意味である。
もう1つは、間のアンコの芝居を切り出しても芝居として成り立たたない漫才がある。芝居に入っても、劇中の人物から、途中で漫才師に戻ってつっこみをいれたり、芝居を最初からやりなおしたり、登場人物を入れ替えたりして、まったく演劇としては成立をしない、演劇ではなく演芸の文法でつくられた芝居がアンコとなっている漫才である。例えば中川家や笑い飯の芝居形式の漫才はたいがいこれである。このアンコの部分の芝居について、とりあえず私は「漫才芝居」と呼んでいる。
このコントと漫才芝居、どちらが優れているという優劣があるのではなく、そもそも《文法が違う》ので《笑いの組み立てが違う》というところに違いが生じているのである。
漫才芝居とコントの比較
型式を比較すると、コント(漫才のアンコとのしてのコントも含む)は演劇の文法で表現されるので、コントが始まった時からコントが終わる時までずっとコントの登場人物を演じているが、漫才芝居は、芝居が始まっても、自由に芝居の登場人物から漫才師に戻って一端芝居を止めたり壊したりすることができ、また自由に芝居を始めることができる。場合によっては登場人物を演じる者を交替することもできる。漫才芝居は、いつでも、芝居の途中でも素の語り手に戻ることができ、その変化や落差が面白みや可笑しみを産みだしている。落語家が噺の途中に素の落語家に戻った解説で笑かすみたいなもので、演出の方法論として理解するほうが妥当だろう。
漫才芝居の長所
漫才芝居の長所は、演技と説明の落差が出しやすいことである。判り難い状況 の芝居も、突込みで解説することで解らせて笑わさせることができる。「突込みは愛だ/解説だ」といわれる所以である。中川家の漫才芝居で、弟の一人芝居にそこに居るはずのない兄が出現してしまうネタがある。コントではどうにも処理しようが無い不条理劇になるところを、漫才では素の漫才師にもどって兄を怒ればそれで笑いが生じる。
笑い飯の『奈良歴史民俗博物館』は、漫才芝居に入ってすぐにわかりにくいボケをかまし、相方が芝居を壊して突っ込みを入れることで爆笑をとり、登場人物が入れ替わって同じことを繰り返すことで、爆笑ばかりの漫才に仕立て上げた。あるいは笑い飯には、芝居に入る直前で延々と寸止めになり芝居に入らず終わるネタがいくつかある。これらはコントでは非常にやりにくいネタである。
漫才芝居の欠点
逆に漫才芝居の欠点としては、例えば「不条理な状況」に追い詰められても、素に戻って逃げられることが挙げられる。こういう状況追い詰め型は、役を 「演じ続けなければならない」コントでなければ成立しない。コントの方が高い緊張感を作り出すことができるのである。コント55 号の坂上二郎苛めが成り立つのもコントだからだ。藤山寛美がアドリブで共演者を追い詰める。漫才芝居だったら「なにすんねん」 の一言で終わってしまう所を、共演者も芝居で返さなければならないので四苦八苦する、それが面白い。モンティ=パイソンでは不条理な状況に追い詰められるコントが沢山あるが、 漫才芝居だと「そんなことあるかい」の一言で終わってしまって何も起きないのだ。コント漫才で、コントの最中に解説風の突込みを入れる場合は、コントの登場人物であることから逸脱しないようにする方が良い。逸脱して素の漫才師として突っ込んでしまうと、その後では高い緊張感を得ることが難しくなってしまうのである。ダウンタウンやサンドウィッチマンのコント漫才の突っ込みは、分析してみると登場人物から逸脱して素の漫才師に戻らないように注意深く台詞が練られている。
まとめ
漫才芝居とコントはよく似ているが、使われる文法が違うので、ネタによって上手く使い分けないといけないことを理解しなければならない。
漫才とコントに限らず、笑芸一般について、どんな文法で笑いを生み出しているのか、 もっと掘り下げられてもいいと思われる。
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