AKB48グループの歌は演劇的というよりは演芸的である
先日、HKT48のライブイベントを見る機会があった。といってもサッカー場で Jリーグの試合が始まる前のイベントであるが。
ライブが始まるとまもなく、HKTのメンバーはフィールドをぐるっと囲うように散開し 観客席のすぐそばで観客席に向かって歌い出した。これは普通の音楽ライブとはちょっと違うなと 感じた。サッカー場のような広い場所での音楽ライブは、 普通はフィールドの中央で朗々と歌い上げそれを観客が《観る》ことが多いが、 HKTは観客席の目の前で、観客と視線を交わし、微笑みかけ、互いに手を振り合いながら、 観客に向かって歌うのである。
落語や漫才で《台本》《演技》と並ぶ要素で、演芸のエッセンスである(観客との) 《交流》の要素が歌っている間もとても大きな割合をしめているのである。 ライブ画像等を見れば、これはAKB48グループ全体にいえることだろう。
これが『AKB48グループの歌は演劇と言うよりは演芸的である』と題した由来である。
分かっていたひとにはいまさらかもしれないが。
普通のコンサートでは、「歌」は《演技》100%な演劇的で、《交流》はMCの時になされる。 AKB48グループは歌っている時も、観客と目線を合わせて《交流》を行っており、 それは落語家や漫才師が観客と目線を合わせながら演技や話しかけをするのと 似ている。
AKB48グループの常設小屋が小劇場であることは、《交流》が大きな要素であることと、 たぶん相性がとても良い。歌が基本ユニゾンで地声歌いなのも「演芸」と考えれば しっくりくる。(たとえば「かしまし娘のテーマ」は大部分がユニゾンで地声ある。)
演芸的歌手は、アイドルに限らなければ、例えば大衆演劇出身の歌手はだいたいが演芸的である。 女子アイドル界での演芸的な歌手の嚆矢は、おニャン子クラブであることは明白であろう。 おニャン子クラブがバラエティ番組の企画から始まったことと《交流》の要素が大きいことは 関係が深いと考える。(先程の「落語の要素」の後半参照) 同時期の女子アイドルでも森高千里など演劇的な歌手は十分おり、 その系譜はいまも続いているので、新しいジャンルがここで分岐した、と考えるのが良いだろう。 このあたりの歴史的経緯とか歌手の分類、男子アイドル界への適用あたりを、今後考えると 面白いかもしれない。
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