空気を読むについて
《「空気を読む」の格好良い言い換えに「風を読む」を提唱》という冗談の発言がどこだか忘れたがチャットであった。ただ、言われてみれば確かに「その場の(限定的な)空気」を読むより、時間的空間的広がりのある「風」を読む方が、より開かれているし格好が良い。
ならば、もっと長く広いスケールの大きいものを読むと、もっと格好良いのではないだろうか。
例えば「空(そら)を読む」「地を読む」「時を読む」
おお、なにか占術的な響きが加わって神秘的な格好良さだ。「空気を読んだ発言より、地を読み、時を読んだ発言を」なんて言うとビジネス書のモットーみたいだな。中身は無いけど。
占術で思い出した。古代より東洋ではもっとスケールの大きいものを読んでたではないか。「天」だ。「天命」だ。天命は読むより知るという術語が付くけど、知るためにはきっと読まなければならないだろうから、大まかに言えば同じだろう。「天命を読んだ発言」「天命を知った行動」 うむ、格好いいぞ。『空気を読むより天命を読め』とかキオスクの棚のビジネス書のタイトルとしてもうありそうなくらい格好良い。
しかし、これ逆に考えると、昔の天命を知るための占術が、個人的限定的空間にスケールダウンした現代の占いが「空気を読む」という行為なのかもしれないねえ。してみると「空気を読め」という言明は、種々の非論理的非言語的予兆を感じ取れという意味では間違ってはないのだろうけど、もっと微妙玄幽なものまで読み取ることを目指さないといけないような気がしてきた。
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