喜劇と悲劇
イギリスの古典的なcomedy(喜劇)とtragedy(悲劇)の定義について、出典が不詳なのだが以下のようなものがあるらしい。
劇の前後で状況が変わらないのがcomedyで、状況が変化するのがtragedy。「真夏の夜の夢」は、騒ぎが起こるけど何も変わらないから喜劇、「ロミオとジュリエット」は、2人が死んでしまうので悲劇、というふうに考えるのだろう。
この定義は、「笑芸評論」の 「モンティ=パイソンの「落ち」のないスケッチの考察(web未掲載)」で、 「落ちとは観客を日常に戻す仕掛け」であるとしたのと通じるものがあるなあと思っている。 落語や漫才の中で騒ぎや事件が起きるが、それは落ちで元の日常に返るのだ。
じゃあパイソンの落ちのないスケッチは悲劇なのか?悲劇と取ってもいいが、 「上流階級アホレース」とかを見ていると、 最初から不条理な状況になっていてそれが延々と続いていくという意味で、 状況が変わらない「喜劇」と取るべきなんだろう。
そういう意味じゃあ、先日、談笑が演じた『自我の穴』(この日記の10月2日に詳しい説明がある。) は、 客を日常に返さねえや、状況が変化してしまうという意味では悲劇的だわの、 大反則技だったんだ。どれくらい反則かというと『疝気の虫』くらい反則なんだ(笑)
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