コミティアなんかに出している
本で、
最近はボケと突っ込みって何だろうという考察の周りでぐるぐるしている。
それに関するメモです。
関連してこんな論文があるよとか、
こんな事例があるよとかあったらコメントとかトラバで教えてくれるとありがたいです。
それぞれの定義は、「ボケ」は「不条理」、「つっこみ」は「意義申したて」と仮定している。
なので「ボケた突っ込み」というふうにボケと突っ込みはそれぞれ独立にフラグが立つものとして理解している。
- 漫才の突っ込みは、ギャグに対して全否定するので、そこで会話がいったん立ち止まって、
リセットされて、会話の流れがやりなおしになっている。
(例外は、ツッコミにもめげずにぼけ続ける、ダウンタウン松本など少数)突っ込みとは「さえぎるもの」なのだろうか。
それともこれは最近の風潮なのだろうか。イトコイ師匠の突っ込みでは、
ボケる方が異議申し立てに対して(屁理屈で)ボケた突っ込み返しの理論武装して話をさらに
進めていったような記憶がある。
さらに古い漫才ではどうなんだろうか。
「さえぎり型のつっこみ」のみではどうしても会話がギクシャクする。
突っ込みのパターンというものを分析・理解する必要があるのではないか。
- 落語の「突っ込み」は、非難じゃなくて、
与太郎や思慮のない旦那に対する「たしなめ」であることが多いという印象がある。実際はどうか。
さらに「突っ込み」=「たしなめ」られても、言う事を聞かないか、誤解するかして事態が悪化しエスカレートする。
そこが面白い。漫才にもそういうパターンがありではないか。(すでにあるかもしれないが。)
- 笑い飯は、初期は相手のボケを常識で突っ込んで全否定してからボケなおしていたが、
最近は相手のボケを受けたボケた突っ込みでエスカレートするようにして面白くなっている。
このパターンの違いを、ここでの定義の「ボケ」と「突っ込み」で上手く説明できるか。
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