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2007年1月の記事

2007.01.30

映画:悪夢探偵

先日、仙台フォーラム悪夢探偵を見てきました。
直前に、監督がヴィタールの塚本監督であることを知り、ヴィタールあまり相性が良くなかったので嫌な予感がしたのですが、やはり駄目でした。

言葉が空虚に踊っていて会話になっておらず、キャラクターが紋切り型で必然性も動機もなく行動する。ストーリーを追うのが辛かったです。途中で塚本ファンの発言を思い出し、言葉を聴かずに絵だけを見るようにしました。

血糊、臓物そしてヒロインの汗ばむ肉感的な肉体。エリート刑事なのに必然性もなくぴちぴちタイトスカートだったのは、こういう必然性があったからなのか。確かに絵がよくて、エロいほどナマナマしい。

とって付けたようでくっ付いてないセリフとストーリーなんだから、もう不条理でもいいから絵だけで勝負してもいいと思うのに、なぜこんなストーリをつけようとするかなあ。なんか残念。

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2007.01.28

落語2.0は何か

岡田斗司夫が落語2.0と称して、新しいことに取り組んでいる。岡田主催の勉強会が12月19日1月21日に渋谷で開かれ、多彩なゲストが参加して実験が進められている。

岡田が落語2.0で目指すものは、素人が落語の形式で色々やることまでは判るが、それが既存の落語をどう関係してどう違うのかが判り難い。そこで手掛りとして、岡田が出している『月刊岡田斗司夫3号』を中心に読み解きながら、落語2.0は何かを整理してみたい。

岡田は、落語の問題を落語そのもの、落語家、落語ファンの3つにあると分析しているので以下それを踏まえる。整理の視点は色々あるが、ここでは「岡田が(少なくとも表向き)何を主張し、何をやろうとしているのか」で整理し、判断は「それを突き詰めていくと、俺達は面白い演芸を享受できるのか」を目安とする。

○落語について

では岡田は今の落語について、何が不満で落語2.0を始めようとしたのか。

ところが、岡田は今の落語をつまらないとは(少なくとも直接的には)どこにも書いていない。白鳥は面白い、喬太郎も面白い、自分はこの人たちに勝てない。米朝の地獄八景や枝雀にはゾクゾクきたと言っている。

これは岡田が戦略的に表明しないようにしているだけかもしれないが、落語に対して駄目出しをしているのは「芝居的寓話的な話だけで、それ以外のジャンルが無いこと」の1点のみ。そして、落語はもともと何でもありだったのが、一人芝居を始めてそれが主流になったもであり、江戸前期の落語に戻せば活性化すると考える。

落語の内容に対して直接否定的なことを言っているのは以下の2点。


  • 談笑、白鳥、志ら乃の様な落語オタクに媚びる業界内輪話や意味の無い過激化は駄目
  • 白鳥はマクラは受けるがネタに入るとテンションが落ち、ネタのクライマックスでマクラとようやく同じテンションになる。すなわちマクラの方が面白い。

そして、これらを踏まえて、岡田は新しい落語のバリエーションを増やすべきだと主張し、このマクラとネタの関係をから、マクラ(みたいな世間話)だけでもいいではないかと言っている。

これら分析について個人的な感想を言えば、前者で引用している上品な観客の非難は、そのまま岡田自身が落語2.0 の勉強会で投げ付けられている非難と同種である。この岡田の駄目出しは、岡田の目指すものと、この談笑等のグループが目指すものが単に違うということ以上のものではなく、本質的な否定にはならないのではと思われる。

後者については、落語は構成的にこうなりがちであり(地獄八景みたいにドッカンドッカン笑いが続くのもあるけど)、落語が物語であるかぎり避け難いと思う。1時間もテンション高いままの物語を聞かせるのは心理的に難しいと思う。マクラだけでも良いというのは後述するようの私もそう思うけど、その根拠とするには、この例はちょっと違うと思う。

○落語家について

落語家の世界について閉鎖的でマイナスなイメージがあり、自分はここには参加したくないと言っている。今の落語家は面白い落語を話そうとしてるのでは無く、良い落語家になろうとしている。これでは新しい落語のバリエーションは出ない。徒弟制度は普通の人をそこそこにはできる点は評価するが、才能のある人を伸せられない。挑戦したけど失敗した先人、悩む先人として、米朝や小朝の例を挙げ、落語世界は大衆化してパイを広げないと、いきづまるだろうと述べている。

○落語ファンについて

今の落語ファンは教養主義で落語オタク。教条主義というのは、これは落語じゃないという人だけど、教条主義的な駄目出しはシェアを削りジャンルの衰退を招くだけ(SFの様に)。面白くなくてもちゃんとした落語をといっているようでは新しい落語はでてこない。落語の分母はこのままでは広がらないと述べている。

○落語2.0で目指すもの

では落語2.0で何を目指すのか。

落語は大衆化しなければ滅びる。落語をする人の分母が少ないのが問題である。面白いの幅は広く、物語だけでもないし、今のピン芸人の様な笑わせるだけというのも違う。興味深い話をへえと聞かせるのも面白いだ。

落語の定義を広げよう。最低限のレギュレーションとして、和服で座布団に座って話すだけにし、普通に話して面白い人達が和服で座布団に座って話すのを落語にする。漫画はそうやって間口を広げて隆盛してきた。落語も同じように間口を広げようというのが、岡田の主張である。

それでは、岡田の主張の内容を評価してみよう。

○落語の歴史

まず落語の歴史認識が違う。拙論「むかしの落語いまの笑芸」にもあるとおり、江戸時期は小噺から、芝居噺が主流であり、岡田の言う世間話が主流だったことは無い。そして岡田の目指す江戸前期は小噺がメインの時期である。世間話は、坊主の説教に近いんじゃないかな。

ただルネッサンスというものは大概、過去に理想を仮託して、あたかも実際あった過去のように語られるものだから、そこは違うということだけ指摘しておこう。

○落語の最低限のレギュレーション

着物を着て座布団に座るというのは、大衆化の壁を下げる意味ではまだまだ壁は高いのじゃないか。座布団はともかく着物を普通の素人が着る習慣は無いし、一式整えるのに数万円かかるのは敷居が高い。

外形的な縛りは座布団に座るだけ。背広を着て座布団に座る。Tシャツジーンズで座布団に座る。古典的な漫才師のように異装して座布団に座る。どれでも良い気がする。和服の効用を考える時に、だれか全身タイツ落語にとか実験してくれないかな。

ただ、戦略として落語家に見えなければならないという判断かもしれないし、着物すら着なかったら、はなから落語と違う演芸として見られる恐れがあるから、こういう判断になったのかもしれない。戦略として当面和服をというのも理解できる。この辺は効果、副作用どうでるか見守りたい。

○話の内容

何を話すかは課題だと思う。高座に座って、ネタではなく面白い世間話を言うというのは、今までやられてないわけではなく、私が思いつく限りでも、


  • 桂文福の1人バラエティ落語
  • こぶ平だったころの正藏の寄席の雑談だけの高座
  • 先日のBS笑点(2007.01.06放送)で木久蔵が世間話だけで一席
  • 花禄が朝のバラエティショーでニュースを一人語り
  • よく考えると林家三平がネタをやっているところの記憶が俺には無い

などなどが挙げられる。このあたりを岡田はどう評価するかは聞いてみたい気がする。

ウンチク芸としては、漫談でケーシー高峰は残ってるけど、ミスター梅介は今見ると辛いし、ニーズとしてどうなんでしょう。岡田斗司夫(吉祥亭満月)以外の者が挑戦する怪獣話やエロ話の方に未来がありそうな気がする。

○落語2.0の今後

では落語2.0は今後良くなりそうかというと、それは分からない。

これは私の持論なんだが、古典は何も考えない人がずっとやってきた結果がこうなったもの。何も考えないで1から始めると、個体発生が系統発生を繰替えして今の古典にいきついてしまう。例としては、新しい音楽を始めたはずのフォーク、ニューミュージックの歌手がことごとく演歌にいっているのが挙げられよう。谷村しかり、堀内しかり、岡林しかり。徒手空拳で壊すことだけ考えて一から始めると、2年くらいして、やはり古典は凄いよなと、言い出し兼ねないのはちょっと嫌だ。

俺達は「その先」が見たい。

桂文珍も前は色々シンセサイザー落語とかゴンタな挑戦をしていたけど、今は落ちついちゃって古典をやっている。そんな落ちは何度も見ている。私が笑芸を分析しているのは、理論を踏まえることがその先に行きやすいと思って居るからだったりするわけだ。

メイドカフェの例えは判りやすいんだが、でもメイドカフェが、仙台サンモールの「かぼちゃの花」の様に、メイドの格好のウエイトレスが、談話室滝沢みたいなきっちりした接待をしたら、これはメイドカフェじゃないと怒るだろう。落語ファンでない一般の人が何が見たいか聞きたいかは、どこかで設定しないと、間違える可能性がある。

それにウンチクな話だけだとちょっと前の漫才と同じく新ネタ地獄に落ちる可能性もある。

というふうに、落ち込みそうな罠はあちこちにいっぱいあるんだ。

落語2.0は、まだ拡散することを宣言しただけ。

岡田以外に、岡田と違う方向に走る人間が居ないと、岡田がタコツボの1つに落ちるだけで終わるようなきがするから、先にでた談笑、白鳥グループでも、あるいはまったく違う方面でも、ちゃんとまとめて評論されるようになるといいなあというのが、今回のまとめである。

(関連する記事)
落語2.0への提言(2007.02.07)
落語2.0見てみた(2007.01.22)
岡田斗司夫の「落語2.0」(2006.11.23)

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2007.01.25

京都サンガ2007年のリーグ戦日程が決定(iCalendar有り)

京都サンガの2007年のリーグ戦の日程が発表になりました。

開幕戦は3月3日に京都西京極で札幌を迎えます。地方開催は、4月に鹿児島鴨池で草津と、5月に長野松本で同じく草津、6月には仙台相手に福井で試合をします。鴨池ではここ何年か勝ったことが無いのだが、草津相手だとジンクスを破ることができるかな。

で自分用にGoogleCalendarに入力したのですが、2.0の時代でもあるし公開します。自由にリンクしてくらはい。

  • iCalendar形式のリンクはこっち→[ICAL]
  • ブラウザで見れるhtml形式のリンクはこっち→[HTML]

iCalendar形式はGoogleCalendarやアウトルックなどスケジュールアプリで利用可能です。

さあ今年は何試合応援しにいけるかな。

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2007.01.23

肉じゃが初挑戦

肉じゃが初挑戦
ちと甘いがおおむね成功。

納豆はいっぱい安売りしてたなあ。

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落語は文体である

「雑談みたいな落語」について調べていたら約5年前にこんなタイトルで日記を書いていたのを思いだした。笑芸評論の方でまとめていない内容もあったんで、一部修正して再掲してみる。

【2001.03.19の日記から】

先日のNHK教育TVの日本の話芸で文治の高座が放送されたが、その演題が「源平盛衰記ひろいよみ」源平盛衰記といえば、琵琶法師ないし講談の本で、しかもそれをひろいよみでは落語になるのか?

と思ってたら、文治がよむとこれがちゃんと落語になるんだ。

ちょっと調べても、東京かわら版3月号に載ってるだけで、花緑がシェークスピアを演ったっり、志らくがローマの休日を演ったりしている。本当に落語はモチーフを選ばない。

落語を落語たらしめているのはテーマやモチーフではなく文体なのだな、と思う所以である。

比較するに、例えば漫才は現代性、同時代性が売りであるとともに制限であって、時代劇や洋物、SFをモチーフにしたものは想像し難い。漫才芝居も同様である。これらはテーマやモチーフを選ぶ「型式」なのである。

とにかく、落語は文体なので何でも取り込めるし、実際、講談や他の芸能を貪欲に取り込んできた。今は落語が古典芸能扱いで、新作については落語にかぎらずオリジナリティ至上主義が強いのであまり誰も試さないけど、まだまだ、取りこめるものが、沢山あるのではないかと、つらつら思ったりしているのである。

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2007.01.22

落語2.0見てみた

ちょっと気になったので第2回・落語2.0お勉強会見てみた。
「これは落語で無い」という感想があったので、どんなのかと思ったら、思ったより普通に見れた。以下簡単な感想(文中敬称略)。

和服を着て座布団に座ると、誰が座っても舞台がすっきりして見やすい。これは意外な効果だ。さらに、怪獣亭パチ助と前立亭茎丸はスクリーンを使っているから、悪目立ちしないのがナレーターとして良い感じである。

吉祥亭満月は話だけで30分。これが、話にエンジンがかかるまでと始まって15分から20分たったあたりが、みてて疲れてしんどかった。話の内容はそこそこ面白くテンションもずっと高いが、両手が話の内容と関係ない動きをするので、頭が混乱して疲れる。特に満月は黒い着物を着ている上に、手が白くて大きいから、変な動きをすると悪目立ちをする。(パチ助、茎丸はプロジェクターやパソコンがあるので目立たない)ただ最後の10分までいくと調子にのるのか、両手が話を具体的に補足する動きばかりになり、見ててすっと得心できるようになる。(※これはもしかすると、落語を見なれてると手の動きに敏感になるからで、普段見ない人には平気なのかもしれない。他の人の感想とか聞きたいところだ。)

あと目線。話の調子に乗ると、正面を向いたままになるので、横で聞いていると、集中が途切れそうになる。同じく話を思い出す時に、目線が宙に浮くと、こちらに話しかけてる感がなくなって、これも集中が途切れそうになる。この話を集中して聞くのは30分位が限度かなあ。座ったままの人が、疲れさせずずっと集中して視線を引き付けるのは難しいのかも。ただ机と椅子で飲み物を飲みながらリラックスして眺めている人は平気なのかもしれない。

それと話の最後の締め。今昔物語か坊主の説教を聞いた気分。茎丸が特に明確なオチもなく終っても全然良かったように、余りキレイすぎるオチが付くのも変な感じがする。

落語家が高座でネタをやらず面白い世間話をするというのはそんなに珍しいことではなく(先週のBS笑点で木久藏が15分雑談をしていたりする。このへんは後日述べたい)、この落語2.0も別に「落語じゃない」という感じはしなかった。ただ仕草が前座さん並なんで、前述したように見てて疲れる部分がある。あと大概、現実の話になるだろうから、終り方は、毎回苦労すると思う。
満月以外は、和服着て座っているが、やってることはいつもの得意分野なんで、安心して見てられた。

だいたいそんなところだろうか。プチクリやオタクイズデッドも入手したので、落語2.0って何だろうかって話を追い追いしたいと思ってる。

(関連する記事)
落語2.0への提言(2007.02.07)
落語2.0は何か(2007.01.28)
岡田斗司夫の「落語2.0」(2006.11.23)

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2007.01.19

ボケとツッコミについて

本サイト「かたわら」に「ボケとツッコミについて」をUPしました。

緊張-緩和理論との関係や、落語の中のツッコミを整理しています。

まえにあげた「漫才の型について」の続きです。

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2007.01.15

マイケルブレッカー死去

米ジャズ・テナーサックス奏者のM・ブレッカー氏死去(スポーツ報知)

去年には、回復して誰かのコンサートに出たとも聞いていたんで安心していたのだが...

惜しい。まだ惜しいよ。あの強烈なインプロビゼーションがもう聞けないとは。

東京と大阪のブルーノートで生で観て、こう、音楽でこんなにもゴキゲンな時空が作れるものかと、身体全体に感じさせてくれた、あの響きをしのびながら、合掌。

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2007.01.13

BJ:仙台89vs大阪エベッサ(1月13日)

大阪は去年の様なハイポスト多用はしないが、高低のパスとドリブルでデフェンスを切り裂いき着実に2Pを決めていく。
迎える仙台はホームのアドバンテージか3Pが面白いように決まって大阪を引き離すが、3C以降は疲れがでたのか3Pが決まらなくなり、逆転される。最後2分で3点差までおいついたあと3Pを2度共決められなかったのが惜しい。会場は盛り上がったが最後まで追いつけなかった。

仙台は子供が増えて賑やかな応援でだんだん良い雰囲気になってきている。前半の3Pが決まるたび会場が揺れるような大きなどよめき、後半の3Pが外れるたびの大きなため息。いい雰囲気だった。

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