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2007.01.28

落語2.0は何か

岡田斗司夫が落語2.0と称して、新しいことに取り組んでいる。岡田主催の勉強会が12月19日1月21日に渋谷で開かれ、多彩なゲストが参加して実験が進められている。

岡田が落語2.0で目指すものは、素人が落語の形式で色々やることまでは判るが、それが既存の落語をどう関係してどう違うのかが判り難い。そこで手掛りとして、岡田が出している『月刊岡田斗司夫3号』を中心に読み解きながら、落語2.0は何かを整理してみたい。

岡田は、落語の問題を落語そのもの、落語家、落語ファンの3つにあると分析しているので以下それを踏まえる。整理の視点は色々あるが、ここでは「岡田が(少なくとも表向き)何を主張し、何をやろうとしているのか」で整理し、判断は「それを突き詰めていくと、俺達は面白い演芸を享受できるのか」を目安とする。

○落語について

では岡田は今の落語について、何が不満で落語2.0を始めようとしたのか。

ところが、岡田は今の落語をつまらないとは(少なくとも直接的には)どこにも書いていない。白鳥は面白い、喬太郎も面白い、自分はこの人たちに勝てない。米朝の地獄八景や枝雀にはゾクゾクきたと言っている。

これは岡田が戦略的に表明しないようにしているだけかもしれないが、落語に対して駄目出しをしているのは「芝居的寓話的な話だけで、それ以外のジャンルが無いこと」の1点のみ。そして、落語はもともと何でもありだったのが、一人芝居を始めてそれが主流になったもであり、江戸前期の落語に戻せば活性化すると考える。

落語の内容に対して直接否定的なことを言っているのは以下の2点。


  • 談笑、白鳥、志ら乃の様な落語オタクに媚びる業界内輪話や意味の無い過激化は駄目
  • 白鳥はマクラは受けるがネタに入るとテンションが落ち、ネタのクライマックスでマクラとようやく同じテンションになる。すなわちマクラの方が面白い。

そして、これらを踏まえて、岡田は新しい落語のバリエーションを増やすべきだと主張し、このマクラとネタの関係をから、マクラ(みたいな世間話)だけでもいいではないかと言っている。

これら分析について個人的な感想を言えば、前者で引用している上品な観客の非難は、そのまま岡田自身が落語2.0 の勉強会で投げ付けられている非難と同種である。この岡田の駄目出しは、岡田の目指すものと、この談笑等のグループが目指すものが単に違うということ以上のものではなく、本質的な否定にはならないのではと思われる。

後者については、落語は構成的にこうなりがちであり(地獄八景みたいにドッカンドッカン笑いが続くのもあるけど)、落語が物語であるかぎり避け難いと思う。1時間もテンション高いままの物語を聞かせるのは心理的に難しいと思う。マクラだけでも良いというのは後述するようの私もそう思うけど、その根拠とするには、この例はちょっと違うと思う。

○落語家について

落語家の世界について閉鎖的でマイナスなイメージがあり、自分はここには参加したくないと言っている。今の落語家は面白い落語を話そうとしてるのでは無く、良い落語家になろうとしている。これでは新しい落語のバリエーションは出ない。徒弟制度は普通の人をそこそこにはできる点は評価するが、才能のある人を伸せられない。挑戦したけど失敗した先人、悩む先人として、米朝や小朝の例を挙げ、落語世界は大衆化してパイを広げないと、いきづまるだろうと述べている。

○落語ファンについて

今の落語ファンは教養主義で落語オタク。教条主義というのは、これは落語じゃないという人だけど、教条主義的な駄目出しはシェアを削りジャンルの衰退を招くだけ(SFの様に)。面白くなくてもちゃんとした落語をといっているようでは新しい落語はでてこない。落語の分母はこのままでは広がらないと述べている。

○落語2.0で目指すもの

では落語2.0で何を目指すのか。

落語は大衆化しなければ滅びる。落語をする人の分母が少ないのが問題である。面白いの幅は広く、物語だけでもないし、今のピン芸人の様な笑わせるだけというのも違う。興味深い話をへえと聞かせるのも面白いだ。

落語の定義を広げよう。最低限のレギュレーションとして、和服で座布団に座って話すだけにし、普通に話して面白い人達が和服で座布団に座って話すのを落語にする。漫画はそうやって間口を広げて隆盛してきた。落語も同じように間口を広げようというのが、岡田の主張である。

それでは、岡田の主張の内容を評価してみよう。

○落語の歴史

まず落語の歴史認識が違う。拙論「むかしの落語いまの笑芸」にもあるとおり、江戸時期は小噺から、芝居噺が主流であり、岡田の言う世間話が主流だったことは無い。そして岡田の目指す江戸前期は小噺がメインの時期である。世間話は、坊主の説教に近いんじゃないかな。

ただルネッサンスというものは大概、過去に理想を仮託して、あたかも実際あった過去のように語られるものだから、そこは違うということだけ指摘しておこう。

○落語の最低限のレギュレーション

着物を着て座布団に座るというのは、大衆化の壁を下げる意味ではまだまだ壁は高いのじゃないか。座布団はともかく着物を普通の素人が着る習慣は無いし、一式整えるのに数万円かかるのは敷居が高い。

外形的な縛りは座布団に座るだけ。背広を着て座布団に座る。Tシャツジーンズで座布団に座る。古典的な漫才師のように異装して座布団に座る。どれでも良い気がする。和服の効用を考える時に、だれか全身タイツ落語にとか実験してくれないかな。

ただ、戦略として落語家に見えなければならないという判断かもしれないし、着物すら着なかったら、はなから落語と違う演芸として見られる恐れがあるから、こういう判断になったのかもしれない。戦略として当面和服をというのも理解できる。この辺は効果、副作用どうでるか見守りたい。

○話の内容

何を話すかは課題だと思う。高座に座って、ネタではなく面白い世間話を言うというのは、今までやられてないわけではなく、私が思いつく限りでも、


  • 桂文福の1人バラエティ落語
  • こぶ平だったころの正藏の寄席の雑談だけの高座
  • 先日のBS笑点(2007.01.06放送)で木久蔵が世間話だけで一席
  • 花禄が朝のバラエティショーでニュースを一人語り
  • よく考えると林家三平がネタをやっているところの記憶が俺には無い

などなどが挙げられる。このあたりを岡田はどう評価するかは聞いてみたい気がする。

ウンチク芸としては、漫談でケーシー高峰は残ってるけど、ミスター梅介は今見ると辛いし、ニーズとしてどうなんでしょう。岡田斗司夫(吉祥亭満月)以外の者が挑戦する怪獣話やエロ話の方に未来がありそうな気がする。

○落語2.0の今後

では落語2.0は今後良くなりそうかというと、それは分からない。

これは私の持論なんだが、古典は何も考えない人がずっとやってきた結果がこうなったもの。何も考えないで1から始めると、個体発生が系統発生を繰替えして今の古典にいきついてしまう。例としては、新しい音楽を始めたはずのフォーク、ニューミュージックの歌手がことごとく演歌にいっているのが挙げられよう。谷村しかり、堀内しかり、岡林しかり。徒手空拳で壊すことだけ考えて一から始めると、2年くらいして、やはり古典は凄いよなと、言い出し兼ねないのはちょっと嫌だ。

俺達は「その先」が見たい。

桂文珍も前は色々シンセサイザー落語とかゴンタな挑戦をしていたけど、今は落ちついちゃって古典をやっている。そんな落ちは何度も見ている。私が笑芸を分析しているのは、理論を踏まえることがその先に行きやすいと思って居るからだったりするわけだ。

メイドカフェの例えは判りやすいんだが、でもメイドカフェが、仙台サンモールの「かぼちゃの花」の様に、メイドの格好のウエイトレスが、談話室滝沢みたいなきっちりした接待をしたら、これはメイドカフェじゃないと怒るだろう。落語ファンでない一般の人が何が見たいか聞きたいかは、どこかで設定しないと、間違える可能性がある。

それにウンチクな話だけだとちょっと前の漫才と同じく新ネタ地獄に落ちる可能性もある。

というふうに、落ち込みそうな罠はあちこちにいっぱいあるんだ。

落語2.0は、まだ拡散することを宣言しただけ。

岡田以外に、岡田と違う方向に走る人間が居ないと、岡田がタコツボの1つに落ちるだけで終わるようなきがするから、先にでた談笑、白鳥グループでも、あるいはまったく違う方面でも、ちゃんとまとめて評論されるようになるといいなあというのが、今回のまとめである。

(関連する記事)
落語2.0への提言(2007.02.07)
落語2.0見てみた(2007.01.22)
岡田斗司夫の「落語2.0」(2006.11.23)

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