« 2006年10月 | トップページ | 2007年1月 »

2006年11月の記事

2006.11.30

噺家の視線/漫才師の視線

先日の当ブログの記事、「 落語とアイコンタクト」「落語とアイコンタクト:その2」を整理して、「噺家の視線」としてまとめました。

また、同じ観点で、漫才に関して整理し、「漫才師の視線」としてまとめました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.11.26

落語と着物

以前、落語の動作や小道具などについてまとめたときに、和服を着ることの利点欠点については言及していない。どういう効果があるかよく判らなかったからだ。
ところで、先日ここでも話題にした岡田斗司夫の「落語2.0」で、対談の相手だった唐沢俊一さんが日記で話題にしていて、落語家の和服着用について興味深い理由を示していた。

私に言わせれば、あれは衣装を着た独り芝居では絶対できない、複数の人間を演じ分ける、という落語の特性に適合した、ニュートラルな“誰でもない”衣装、である。
いま、誰も着ていない服装だからこそ、イメージでどんな服を着た人物にも、人間以外のもの(動物とか物体とか)にもなれる。

非常に納得できる理由である。落語の演技は7割くらいの没入で、座布団に座って小さな動作で演じることで、複数の人間を高速に演じ分けるのが特徴である。(→前述のまとめより。あ、「7割没入」は唐沢議長から教えてもらってたんだった。)和服はその落語の特徴を補強するニュートラルな服であるということだ。他にも理由はあるかもしれないが、これが大きな理由の一つであるのは間違いないだろう。

さて、では、ニュートラルな落語に相応しい服は和服だけだろうか。複数人を演じ分ける芸は落語だけではない。
例えば、パントマイマーが着る全身タイツ(に腰スカーフ)を着て、座布団か椅子にすわって落語をするとどうだろう。
あるいは、道化師(ピエロでなくてクラウンの方)が着る、組合せがデタラメな派手派手な洋服ではどうだろうか。

ちょっと面白いかもしれない。誰かやらないかな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.11.23

岡田斗司夫の「落語2.0」

岡田斗司夫さんが「落語2.0」と称して、自身が落語に取組むと言う。「新しい話芸」に取組むと言う。

具体的にどうかというと、上記日記から抜粋すると、
・「古典落語を現代に通用するようにリメイクする」わけではない。「架空のお話」という枷をとっぱらって、講義や講演をそのまんま「和服に座布団」というスタイルに持ち込みたい。
・高座に座って着物を着て面白い話、興味深い話、高度な世間話をすれば、それが岡田の落語。今の落語に足らないもの。
てなところでしょうか。

いいぞ岡田ぁ、いろいろ試せー。

「らくご」はもともと「はなし」だったわけで、架空の物語である必要も爆笑である必要もないわけだ。桂小金治がやって後継が出なかった漫談みたいになるのか、はたまた立川談之助がやってるオタク談義みたいになるのか、あるいは別のようになるのか。

SF芸人だった岡田さんのことだから、「ただ芸を見せる」のじゃなくて、講演をちゃんと演芸にしてくれることでしょう。っつーか東大の講義の演芸みたいなものだったみたいですが。

初高座は21日だからもう終ってるのか。首尾はどうだったんでしょう。

(関連する記事)
落語2.0への提言(2007.02.07)
落語2.0は何か(2007.01.28)
落語2.0見てみた(2007.01.22)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.11.06

落語とアイコンタクト:その2

落語とアイコンタクトの続き。

若手落語家の、アイコンタクトはどのようなものであるか、二つ目4人が出てくる早朝寄席で確かめてみた。

出演は、金原亭馬吉(入門6年目)、柳家三之助(入門10年目)、三遊亭窓輝(入門10年目)、林家たけ平(入門15年目)の4人。マエオキ、マクラ、本題の上下を振るときと地の話の時の目線に注目した結果、以下のとおりであった。

馬吉三之助窓輝たけ平
マエオキ正面を向いたままゆっくり見回す左右に振る左右に振る
マクラ少し左右に振る 左右に振る左右に振る左右に振る
上下目線が宙に浮く客と目線を合わせる客と目線を合わせる目線が宙に浮く
地の話 正面を向いたまま左右に振る左右に振る左右に振る
こうして見ると、二つ目でも最初の頃は、マエオキやマクラ、地の話で正面を向いたまま話し、上下を振る時でも目線が宙に浮いているが、長じると、隅々の客と目線を合わせながら、マクラやマエオキ、地の話をし、上下を振る時にも、客と目線を合わせて演技をしている。三之助以降は、見ていて非常に「落語らしい」感じがした。

目線に気をつけて落語を見ていると、目線が常に客に向いていること、隅から隅まで目線を配り続けることが落語の基本的な特徴なのではないかと感じる。

それは落語が、観客に見せる一人芝居ではなく、常に客に語り掛ける「話芸」であることの証左なのだろう。

(2006-11-25 追記)
笑芸評論のサイトでまとめなおしました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.11.01

漫才の分析

先日、こちらと同じように笑芸評論をしている漫才構成術というサイトを見付けました。「漫才という文化」のリンク集に一緒に並べていただいています。

中は漫才の作り方に着目した記事で、漫才の会話を「フリ」「ウケ」「ツキ」「カエシ」「ハナシ」と分類して、そのいろいろなパターンを示しています。

この分類は興味深いですが、実際の分析では「ツキカエシ」や「ハナシウケ」のように複合して使用することが多く、ちょっとまだ使いにくい概念かなと思われます。

これを改造させてもらうなら、まず、漫才の会話を全て「フリ」か「ウケ」であるとしそれを基本属性とします。そしてその基本属性に「ツキ」「カエシ」「ハナシ」などの付加属性があるとすると考え易いのではないでしょうか。

こうすると「ツキ」以下は全部「ウケ」の付加属性であることが判ります。

また、以前私が、「漫才の型について」で考えた「ボケ」「ツッコミ」は付加属性としてとらえ、「ボケたフリ」「ボケたウケ」「ツッコミのウケ」「ボケたツッコミのウケ」などと表現できます。そして、何を指しているか具体的になるので、例えば「ツッコミのフリ」が存在しないことを言葉で表現できます。

この基本要素の名前「フリ」と「ウケ」は、これから使わせてもらうことになるでしょう。こういう名付けによって頭が整理されるのは凄い気持ち良いです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2006年10月 | トップページ | 2007年1月 »